05.28.01:21
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10.25.04:38
12
長いので追記にまで続きます。
前後不覚になるほどの深酒を最後にしたのは、いつのことだったろうか。
むせてこぼした残りをそのままに、片倉の盃は先程から置かれっぱなしだ。見回せば宴もたけなわと言ったところである。喧騒は未だ絶えない。
「おっとっとっとぉ」
「さぁいったいった!」
向こうでは伊達兵と黒田兵の飲み比べが始まったようだ。
「オメェら! 張るのは構やしねえが、醜態晒すんじゃねえぞ!」
「うぃーっす!!」
肩越しに呼びかければ、陽気な声が返ってきた。やれやれと苦笑する。
ぱりぱりという咀嚼音で、片倉は向かいに座る少年の存在を思い出した。本当に忘れていたわけではないが、政宗と黒田が席を立ってからこのかた、この少年は一言も発さずに黙々と飲み食いしていたものだから、そちらへ注意がいかなくなっていたのである。
長政は漬物を食べていた。片倉の畑で採れたきゅうりを漬けたものだ。政宗に話していた通り、口を覆う面頬の下から箸を入れて食べている。
「……旨いか」
「……はい」
急に話しかけられて驚いたのか、長政はしばし黒い瞳をぱちくりさせていたが、やがて頷いて見せた。
「おいしいです、とても」
「そうか。きゅうりなら、まだ漬けたのが残ってる。あとで分けてやるから、持っていきな」
作ったものを喜ばれるのは、片倉とて悪い気はしない。
「漬物なら保存も利く」
「ありがとうございます」
長政は小さくぺこりと頭を下げた。口元が隠れ表情を窺いにくいことを差し引いても、控えめな反応である。もしかすると人見知りなのかもしれない。
不意に、背後からわっと歓声が上がった。何事かとそちらを見やる。飲み比べをしていた兵たちが、今度は腕相撲で力比べを始めたらしい。
「元気な奴らだ」
口元に笑みを浮かべ呟き、長政の方に向きなおって、すこしばかりぎょっとした。大人しく座っていた長政が、膝立ちになっていた。前のめり気味に、向こうを凝視している。
「……気になるのか?」
「はいッ」
先程までと打って変わって、元気良く返事。
「腕相撲、親父殿の他に負けたことありません、おれ」
「何だと」
長政が急に活き活きとしはじめたことよりも、長政の言葉に片倉は驚いた。改めて見ても、長政は決して体格の良い方ではない。腕もまだまだこれから筋肉がつくのだと言わんばかりの細さである。あの鉄球を振り回せる剛腕の黒田に負けるというのはともかくとして、それ以外に負けたことがないとは、どういうことなのか。しかしそんな片倉をよそに、長政は続けた。
「勝てるんです、本当は親父殿にも。でも拗ねるから、おれが勝つと。だから、勝てないことにしてあるんです、おれは。ああでも、勝てないですよ、腕相撲以外なら本当に。だからすごいですよ、親父殿は」
片倉は耳を疑った。黒田にも勝てるというのか。
ここまできっぱりと言われてしまうと、訝る気持ち以上に、本当ならば見てみたい、という気持ちが強まった。
「……本当だろうな」
「はいッ」
「なら、見せてもらおうじゃねえか」
回り始めた酔いが手伝ったか、にやり、と笑む。
長政もまた、面頬の下で笑み返しただろうか。
「合点ッ!」
「えっ、ガチでやるんすか小十郎様!」
「おいおい大丈夫かあ~!?」
「痛い目見ても知らねぇぞ坊主!」
「何だ何だ、実況の出番か!?」
大柄な兵と向かい合った長政を取り巻いて、伊達兵が囃したてる。
「おうおう、うちの若大将を見縊るんじゃねぇぞ!」
「痛い目見るのはそっちだぜ!」
「ひと捻りにやっちまいな!」
黒田兵も負けじと煽りたてる。長政は周囲の声など耳に入っていないかのように落ち着いている。進み出ると、自分の方から腕を差し出した。
「来なよ」
父親を思わせる不敵ぶりである。対する伊達の兵は、余裕綽々といった態度でのしのし前に出ると腕を差し出した。長政のゆうに倍はありそうな太さだ。
がちりと組み合う。
「さぁ両者見合って……はじめ!」
ぬう、と伊達兵が唸った。一瞬遅れてどよめき。
「……ほう」
顔を真っ赤にして額に青筋を立てている伊達兵。力を込められ膨れ上がった腕は見るからに剛力の体であるが、どうにもぶるぶると震えるばかりでちっとも動かない。一方、まるで軽く添えられているだけのような長政の腕は、押しに押されようとも微動だにしない。にわかには信じがたい光景である。
「こ、このやろ……」
「折れる。続けるなら」
「ぐうぅ……ま、まだまだ」
伊達兵はなおも腕に体重をかけ続けている。口で言っても降参する気はないらしいと見るや、長政は軽く震わすように腕を動かした。
「……ぅおわッ!?」
伊達兵は体一つ分ほど後ろへ吹っ飛び、ひっくり返っていた。
観衆の半分は何が起こったのかわからずぽかんとしている。
片倉は、長政が腕を動かした瞬間からその手元を注視していた。手元から伊達兵の全身へ衝撃が伝わり、全身が捻られたようにぐるりと回って飛んだ。つむじ風を体に流されたかのようだった。人を捻って吹き飛ばすなど、大振りの武器でも使ったのならばまだしも、この少年は腕一本でそれをやってのけたのだ。
「言うだけのことはあったみてえだな」
しかし子供に腕一本で負かされたとあっては、伊達の兵たちが黙っているはずもない。何よりも面子を重んじる連中である。さりとて長政と互角に張れるような剛力に心当たりはなし、どう出るかと片倉が考えかけたその時である。人垣をしめやかに割って、こちらへと歩んでくる男があった。決して屈強とは言えぬ体躯、包帯まみれの顔。片岡八郎であった。
「おいおい誰かと思ったら……」
「こないだ来た新入りじゃねえか」
「怪我してんだろ? やめとけやめとけ」
伊達の兵たちが口々に言うが、八郎はまるで聞こえていないかのようだ。
そうこうしているうちに、八郎は長政の目前までやってきた。長政は、突然現れた包帯男を怪訝そうに見つめている。八郎はほとんど回復していると言ってもよかったが、顔の包帯はまだとれておらず、言うまでもなく万全でない。長政のような馬鹿力と腕相撲などしている場合ではないことは、本人がそれを一番よくわかっているはずだが、どういうつもりなのか。片倉も掴みかねていた。しかし鉄砲玉の新兵ならばまだしも、配下を率いてきた部将である。無策で挑みかかろうとしているとも思えない。
「やれんのか?」
片倉が問うと、包帯まみれの顔が頷きをひとつ返した。
「……悪ぃが、コイツの相手もしてやってくれ」
兵たちがどよめく。
「やりましょう」
長政は気を取り直したように言って、腕を差し出した。八郎がその腕を取る。八郎は痩せ身だが、長政と並べてみればやはり大人と子供である。腕の太さだけで言えば、八郎の方がまだいくらか太い。
「両者見合って」
構える双方。
しかし、はじめ、の声はかからなかった。
「Arm wrestlingか? 盛り上がってんじゃねえか」
パッと人垣が割れる。腕組み、仁王立ちの人影。
「Let me in!」
黒田を伴って現れた政宗は、妙に上機嫌だった。一体何を話してきたのかと片倉はかえって不安を覚えたが、近づいてきた主の顔から滲み出る高揚を感じ取ると、要らぬ心配であると察した。突飛や無謀に走るときの顔ではない。
「政宗様……」
「話はついた。ま、今夜は楽しくやろうや。士気も上がる」
「……はっ」
すり抜けざまの短い会話。兵たちは気付いていないだろう。主の背中を見やり、少し離れてやってきた黒田を続けて見やる。黒田は何も言わなかったが、僅かにこちらを見返すようなそぶりを見せた。あとで主を交えながらじっくり話し合うことになるだろう。
腕相撲の行司が、注目を促すように咳払いをした。
「そんじゃあ、筆頭もお出ましになったところで改めましてェ! 両者見合って……はじめ!」
その場にいた者の多くは、一瞬で勝敗が決するものと思っていただろう。
「……なんだ、おまえ」
驚きとも疑いともつかぬ声色で呟いた長政が、黒目がちな目をさらに大きく見開いたのを、片倉は見た。
直後身じろいだのは先程のように相手を吹き飛ばすためかと思われたが、長政は絡みついた何かを振り払うかのように八郎の手を離していた。
周囲がどよめく。
長政は自分の手と八郎の顔を交互に見てから、父と独眼竜、そして片倉をそれぞれ見た。
「……失礼仕りました」
黒田は黙している。政宗は片倉が見てようやくそれとわかる程度の怪訝そうな表情を浮かべながらも、構わねえよ、と落ち着きはらって言った。
八郎は腕を構えた姿勢のまま、長政を見つめている。
長政は八郎と腕を組み直すと、棒立ちになっていた行事を見やった。
行司役が慌ててはじめ、の声をかけると、まるで何事もなかったように長政は八郎の腕を伏せてみせた。観衆もまた、さっきの出来事を忘れたかのように湧いたかと思うと、あれよあれよという間に腕相撲は仕舞いになって、再び飲み比べが始まった。白けかけた場が賑やかさに包まれる。
八郎は長政に向かって小さく一礼すると、丸め気味の背を向けすっとさがって人だかりの向こうへ消えた。
それを見届け、騒ぐ兵たちを尻目に片倉が眉根を寄せて主を見やると、政宗はその視線を一旦受けてからすぐに向こうへ飛ばした。
「Hey, Junior」
じっと自分の手を見つめていた長政が、弾かれたようにこちらを見た。
「いいbattleだったぜ」
「ありがとうございます」
声色にほんの少しばかりぎこちなさが残る。
「政宗様」
「わかってる。Junior, 飲みなおそうぜ。さっきはオレが中座しちまったからな。黒田、アンタもだ」
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