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なまもののさけび

とりあえずつらつらとかきつらねます

05.30.14:17
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  • 05/30/14:17

10.01.11:03
(略)⑤

「よろしいのですか、吉継様」
 絵図を丁寧に畳みながら、男が問う。
「犬を逃がしたようですが」
「アレはよいのよ。小田原に豊臣が出張っているとの情報を、無事に奥州まで持ち帰ってもらわねば困るゆえ」
 包帯の下で、笑んだのだろうか。喉の鳴る音が漏れる。
「三成様に知られれば、なんとします」
「何故逃がしたと吠える様が浮かぶ。ぬしにもわかろ」
 吠えるついでに、走って追いかけようとしかねない。兜の眉庇に手をやりつつ、大谷はまた喉を鳴らした。
「なに、構わぬ。こちらの犬は始末したのだ」
「こちらの犬こそ、お知らせするものとばかり」
 男が見やった先には、くしゃくしゃになった紙がある。何かしらの書状のようだった。
「伊達に出兵の兆しあり、ですか」
「謀書よ。あれは豊臣の者ではない」
 北条領に滞在していた大谷の元に、豊臣の間者を名乗る小物がこの書状を持ち込んだのは、つい先日のことである。伊達政宗が出した軍勢催促状、と称されたそれを大谷は一見して謀書と見抜いた。より正確に言えば、書状を持ち込んだ「間者」が偽者であると見抜いたのだ。豊臣の情報伝達網において強い権限を持たされている大谷は、使う間者の顔を検めることにも余念がなかった。偽者が紛れ込めば一目でわかる。
「われの前に顔を晒したのが運の尽きよ」
「げに」
 男は柔らかい声で返事をし、手甲をはめた。
「この書状。恐らくは、豊臣を焚きつけ伊達を攻めさせるためのものであろう。われらが伊達とぶつかって得をする勢力など、数えれば数えただけあるというもの。詮索するだけ骨折りよ、此度ばかりはな」
 言いつつ、大谷は書状をつまみあげると、油皿でちろちろと燃える火にかざした。細い煙を上げ、紙切れが端から灰になっていく。
 この件が秀吉や三成の耳に入れば、謀書とわかっている以上、馬鹿正直に伊達を攻めることはないにせよ、豊臣を陥れようとした何者かを炙り出して叩き潰さねば気が済むまい。いまそのような騒ぎを起こされては、方々が台無しになりかねない。ゆえに、偽間者は既にこの世のものではないというわけだ。
「……さて、頃合いよ。われは抜ける」
 手を軽くはたいて煤を落とすと、大谷はまた眉庇に手をやった。目深にかぶった兜は、大谷自身のものではない。兜だけでなく、鎧から陣羽織、足袋に至るまで、大谷が普段身につけているものとは似ても似つかない。しかし兜の下を覗き見れば、面頬と包帯に覆われた、いつもの大谷の顔である。ただし面頬は黒かった。
「お似合いです」
「ぬしもな」
 大谷が先程から言葉を交わしている男。肌を包帯で覆い、肋骨の浮き出たような胴丸を着け、頭巾のような兜をかぶった、蝶。その姿こそ、大谷を知る者であれば同じように思い描くであろう「大谷吉継」であった。
「駕籠を用いたは正解であったな、五助。流石のぬしにもわれの輿は動かせまい」
「は……」
「佐竹と宇都宮の相手は任せる。終え次第、ゆるりと戻るがよかろ」
 すいと戸が開いた。暗い庭に、駕籠が控えているのが薄ぼんやりと見える。黒い具足姿の大谷は、近習の手を借りそれへ乗り込んだ。
「たまには揺られて往くのも、悪くない」
 視線を投げてよこす。こちらの視線とかちあった。駕籠の戸が閉められ、しずしずと庭から運び出されていく。ややあって、門の方角から「湯浅五助様、御出立」と声を張り上げているのが聞こえてきた。
 これでよい。
 赤い面頬と包帯の下で、湯浅五助は小さく息を吐いた。彼は大谷配下の将、そしていまは大谷の陰武者である。急ぎ大坂へ戻る大谷の代わりに、もうしばらくだけ佐竹と宇都宮を睨む役目を、彼は仰せつかった。何も戦場へ出ろというのではない。「大谷吉継」として、ここに残ることが重要であった。大谷が目と鼻の先で数珠を繰(く)っていると思えば、佐竹と宇都宮、そして北条も妙な動きはするまい。
 実のところ、いまの大坂城はもぬけの殻と言ってよかった。豊臣の本隊は西国へ出ており、そこには秀吉の直轄部隊のみならず、石田三成隊も同道している。当初、石田隊は大坂に残る手筈であったが、隊編成に問題が生じたため急遽秀吉と共に西へ向かい、大坂は大谷が守備することに決まりかけた。しかしそこに大谷の関東行きが重なっており、どちらも取りやめることができない手前、大阪には大谷隊の兵と石田の影武者が置かれたのだった。そして大谷はいつもどおりに、近習と数人の兵のみを連れて北条領へやってきたのである。
 佐竹・宇都宮との会合は済ませたが、大谷の滞在期間はまだしばらくあった。その残りを、五助は大谷としてここで過ごすのだ。そしてそのまま、大谷として大阪へ帰る。大谷が移動手段としていつもの宙に浮く輿ではなく、駕籠を用いたのはそのためだった。五助にあれは動かせない。行き帰りの足は、先程五助として出立した大谷と同じく、駕籠だ。他の近習たちにも、今回のことはすべて伝えてあった。みな五助と同じく、大谷の意向を忠実に守る者ばかりである。露見することはまずあるまい。
 手持無沙汰も手伝って、あれこれと考えを巡らすうち、五助はふと気になることを思い出した。ここへ到着するなり、大谷が北条方へ要求したこと。あれは一体何が目的だったのか。今日に至っても大谷は要求の目的を明かさず、ただ曰くありげに北条の兵を眺めているだけだった。佐竹と宇都宮を牽制するため、だけとも思えない。主の真意を測りかねているおのれ自身に若干の苛立ちを覚えつつ、所在なさげな右手が口元に伸びた。
「……」
 もう少しばかり、肌触りのよい包帯に変えて差し上げるが宜しいかもしれぬ。三成様にもご相談して。喉まで上がってきた言葉を、そのまますうっと沈める。こんな場所だからこそ、どこで誰が聞いているやもしれない。



初登場・湯浅五助さん。

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