05.30.14:17
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03.03.20:28
今更
緑川はコミックス派な上に現在単行本を滞納していて20巻までしか読んでいないという酷い有様なのであんまり本誌の展開についてものを言える身分じゃないのですが、何か色んなところで色んなことを聞いてきたので少し覚え書き程度に緑川なりの言葉を綴っておこうかと思います。
本誌の内容そのものには全く触れていない上に価値観として理解し難い部分がかなりあると思うので、その辺りを了承してくださる方のみ続きからどうぞ。
一言で済まそうと思えば簡単ですよ。
ただ、ものは言い様なのですよ。
要するにまぁ言い方一つで随分印象が変わると思うので、簡単に言いたくないし言えないし。
ですから仕方なく長々と書き連ねるのですよ。
書かない、という手段もありますが折角の機会ですから。
残念なことにとても珍しいのですよ、緑川が自分の意見をまともに晒すことは。
緑川は、基本的に傍観者です。
関わらなくてよいのなら関わらない方を選びます。それがいわゆる三次元だろうが二次元だろうが世界と関わるのはとても難しいからです。
ある意味では自分と全く違う次元で動いている世界を見ていることに意義があるのです。
一次創作者としての緑川の目標は「登場人物が勝手に動いてくれること」です。自分が何もしなくても動く、ある意味でリアルな世界、世界観を創り出すことがしてみたいです。
僕は傍観者でいたいのです。
そして他人の作品を眺めている限り、自分は限りなくいつまでも傍観者でいられます。
その世界の人々や出来事を眺めているうちに、これ以外にもこの世界の解釈はあり得るのではないだろうかと考えるようになります。傍観者のいいところは、隠された部分についての多様な読みが出来ることです。
しかしだからといって自分がその世界に接触することは出来ないししたくありません。
僕はあくまで傍観者でいたいのです。
だからその世界の隣にもう一つの隔絶された平行世界を作ってしまうわけです。
その世界から拾いだしてきたものと、その世界にあるかもしれない可能性を組み合わせてみるわけです。
「自分がその世界の可能性を多岐にわたって柔軟に追究した結果を具体的に表した結果」
物語のある二次創作はそういうものだと緑川は思っているようです。
ちなみにこの定義、単体で描いている肖像画的なイラストには当てはまりません。一枚のイラストに物語を入れ込むのは大変です。だから、肖像画的なものばかり描くのです。
登場人物を人物として気に入ったから題材にする、という感覚だけです。
いま気付きましたが、緑川がCPイラストを描けない(描かない)のはどうやらこの辺りに起因していると思われます。あくまでポーズ的なものしか描けない。
ついでに言うと、奇妙なネタ絵やパラレル設定や台詞だけが延々と展開されていく文章ばかり思いつくのもこの辺りが原因のように思われます。
論理を見つけるのは割と簡単ですが、情景を見つけるのはたいへん骨が折れます。
そんな崇高な感性と技術を所有しているわけではありません。
ですから端的に言ってしまいますと
かなり語弊のある言い方になりますが
その世界で何が起きようと傍観者である僕には関係のないことなのです。
僕は僕の視点から僕なりの読みを展開していくだけです。
みえない何かを拾いだす作業と言ってもいいでしょう。
希望通りになることなど望んでいませんし、むしろ予想外な展開を見せてくれると有難い。
その世界が僕の思考や嗜好を上回って回って廻れば廻るほど、読みも深まり広がっていきます。
恐らく二次創作の意義を僕はそこに見出しています。
他人の二次創作物に対して全くと言っていいほど反感を持ったことがないのも、その二次世界は他人が作った論理に従って展開されている全く別の二次世界だから結局自分は傍観者以外の何者でもないわけで自分がそこに自分の価値観を持ち込むのはもっての他だと思っているということなのだと思います。
人が創った結果なのだから勿論個性はあるわけで、むしろ自分と違って当たり前くらいに思っています。
「共通項」があったとしたらそれはたまたま好みが合ったから。
もしくは客観的な「展開」だった場合。
そういうわけですから基本的に僕の二次創作世界は極々閉鎖的な環境で創られます。
まったく、めんどうなかんがえかただ。
ちなみにこの価値観の小さな美点と大きな欠点は
物語についての素直な感想というものが持てなくなることです。
その世界で起こった全ての事象を僕は躊躇することなく享受し続けていくのです。
その世界にあるものとあるかもしれないものを拾いだしてよくよく見てみるのです。
そしてそこから得たものを解いて解してもう一度別の形に組み直していくのです。
筋の通った別の形の何かを創り出すのです。
恐らくこの先もね。
まったく、しゅみのわるいいきものだ。
本誌の内容そのものには全く触れていない上に価値観として理解し難い部分がかなりあると思うので、その辺りを了承してくださる方のみ続きからどうぞ。
一言で済まそうと思えば簡単ですよ。
ただ、ものは言い様なのですよ。
要するにまぁ言い方一つで随分印象が変わると思うので、簡単に言いたくないし言えないし。
ですから仕方なく長々と書き連ねるのですよ。
書かない、という手段もありますが折角の機会ですから。
残念なことにとても珍しいのですよ、緑川が自分の意見をまともに晒すことは。
緑川は、基本的に傍観者です。
関わらなくてよいのなら関わらない方を選びます。それがいわゆる三次元だろうが二次元だろうが世界と関わるのはとても難しいからです。
ある意味では自分と全く違う次元で動いている世界を見ていることに意義があるのです。
一次創作者としての緑川の目標は「登場人物が勝手に動いてくれること」です。自分が何もしなくても動く、ある意味でリアルな世界、世界観を創り出すことがしてみたいです。
僕は傍観者でいたいのです。
そして他人の作品を眺めている限り、自分は限りなくいつまでも傍観者でいられます。
その世界の人々や出来事を眺めているうちに、これ以外にもこの世界の解釈はあり得るのではないだろうかと考えるようになります。傍観者のいいところは、隠された部分についての多様な読みが出来ることです。
しかしだからといって自分がその世界に接触することは出来ないししたくありません。
僕はあくまで傍観者でいたいのです。
だからその世界の隣にもう一つの隔絶された平行世界を作ってしまうわけです。
その世界から拾いだしてきたものと、その世界にあるかもしれない可能性を組み合わせてみるわけです。
「自分がその世界の可能性を多岐にわたって柔軟に追究した結果を具体的に表した結果」
物語のある二次創作はそういうものだと緑川は思っているようです。
ちなみにこの定義、単体で描いている肖像画的なイラストには当てはまりません。一枚のイラストに物語を入れ込むのは大変です。だから、肖像画的なものばかり描くのです。
登場人物を人物として気に入ったから題材にする、という感覚だけです。
いま気付きましたが、緑川がCPイラストを描けない(描かない)のはどうやらこの辺りに起因していると思われます。あくまでポーズ的なものしか描けない。
ついでに言うと、奇妙なネタ絵やパラレル設定や台詞だけが延々と展開されていく文章ばかり思いつくのもこの辺りが原因のように思われます。
論理を見つけるのは割と簡単ですが、情景を見つけるのはたいへん骨が折れます。
そんな崇高な感性と技術を所有しているわけではありません。
ですから端的に言ってしまいますと
かなり語弊のある言い方になりますが
その世界で何が起きようと傍観者である僕には関係のないことなのです。
僕は僕の視点から僕なりの読みを展開していくだけです。
みえない何かを拾いだす作業と言ってもいいでしょう。
希望通りになることなど望んでいませんし、むしろ予想外な展開を見せてくれると有難い。
その世界が僕の思考や嗜好を上回って回って廻れば廻るほど、読みも深まり広がっていきます。
恐らく二次創作の意義を僕はそこに見出しています。
他人の二次創作物に対して全くと言っていいほど反感を持ったことがないのも、その二次世界は他人が作った論理に従って展開されている全く別の二次世界だから結局自分は傍観者以外の何者でもないわけで自分がそこに自分の価値観を持ち込むのはもっての他だと思っているということなのだと思います。
人が創った結果なのだから勿論個性はあるわけで、むしろ自分と違って当たり前くらいに思っています。
「共通項」があったとしたらそれはたまたま好みが合ったから。
もしくは客観的な「展開」だった場合。
そういうわけですから基本的に僕の二次創作世界は極々閉鎖的な環境で創られます。
まったく、めんどうなかんがえかただ。
ちなみにこの価値観の小さな美点と大きな欠点は
物語についての素直な感想というものが持てなくなることです。
その世界で起こった全ての事象を僕は躊躇することなく享受し続けていくのです。
その世界にあるものとあるかもしれないものを拾いだしてよくよく見てみるのです。
そしてそこから得たものを解いて解してもう一度別の形に組み直していくのです。
筋の通った別の形の何かを創り出すのです。
恐らくこの先もね。
まったく、しゅみのわるいいきものだ。
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