05.26.18:24
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03.28.19:55
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宇都宮から軍勢催促が来たならば、それに応じた形を取って下野に進軍する、という一応の方針が固まったところで、話題は別のものに移った。政宗が目を通してから放っておかれていた帳簿である。
この帳簿には伊達軍に属する者のうち、勢力を丸ごと吸収する形で編入してきた者の名と簡単な経歴などが連ねてある。無論、本来は余所者に見せるようなものではない。帳簿を管理する立場にある片倉は反対したが、政宗はどうしても確かめたいことがあると言って聞かない。冷静な時であればある程、この若い主は頑固になるところがあった。一体何を確かめたいのかと聞いてみれば、お前も気になってることだと開き直られる始末で、一向に諦める様子がない。遂に折れた片倉は渋々ながら、一冊だけという条件付きで帳簿の持ち出しを許可したのだった。
「……ありました、ここです」
「Thanks. 見てみな、Junior」
促されるままに、長政は帳簿を覗きこんだ。
「片岡八郎。お前が相手をした男だぜ」
政宗が気にしていたのは、長政と八郎の腕相撲のことだった。あのときの長政の様子は、片倉も全く気にしていなかったと言えば嘘になる。しかしだからと言って、宇都宮の件のついでに確かめることでもないのでは、と思わずにいられない。もしも事情が逆であったら、八郎の方が長政と対峙して何かしらの違和感を覚えたと訴えてきたのであったら、片倉もすぐに動いただろう。今は「味方」であるにしても客分として迎えているだけにすぎない長政を、なぜ主がここまで気に掛けているのか、片倉はいまひとつ掴みかねていた。帳簿の記録を見た程度で何かがわかるものだろうかという単純な疑念もある。
政宗と片倉、そして父親が注目する中、長政は帳簿の開かれた箇所をじっくりと見た。大きな瞳が、紙上の文字を追って上下に行き来する。ややあって、小さく肩をすくめたかと思うと、長政は首を横に振った。
「ありません。なにも、気になる点は」
「Really? やっぱり、書かれてるようなことじゃ駄目ってことか……」
言って政宗は腕を組むと、なおも考え込むように目を伏せた。片倉はやれやれと嘆息する。
「お気が済みましたか」
「いや、まだだ」
「お言葉ですが……いまこの時に確かめねばならぬことでしょうか」
「いまこの時だからだ。いやに引っかかるんだよ……竜の勘だ」
眉根を寄せながら帳簿を睨む政宗。その顔と帳簿とをかわるがわる見る長政。片倉はじとりと帳簿を見やった。
片岡八郎。生まれは豊前。在地の何某という家に仕えたのち浪人。同じ境遇の者たちと各地を転々としながら、夜盗まがいの行為を重ね糊口をしのぐ。伊達軍と戦闘のち降伏。
寝床で背中を丸めて書を読む姿を思い出す。あの男がわざわざ腕相撲に挑戦してきたのには、確かに片倉も意外さを覚えた。しかし宴席でのこと、深くは考えまいと思ったのもまた事実。怪我も順調に治ってきているところだ。
「……怪我……?」
包帯を巻かれた男の顔を思い浮かべていた片倉は、はたと顔を上げた。
「政宗様。八郎の顎……砕いた者は誰なのか、ご存知ですか」
政宗は虚をつかれたように目を瞬かせた。
「何か気付いたのか、小十郎」
「降伏して担ぎ込まれるまでの騒ぎで有耶無耶になってしまいましたが、八郎の顎を砕いた者がいるはず」
「Of course. そりゃ道理だな」
「念のためお尋ねしますが……政宗様では、ないのですね?」
「ああ。オレはてっきりお前か、藤五あたりがやったのかと思ってたぜ。キレーに砕けてたからな」
違うのか、と確かめるように首を傾げる政宗。険しい表情で首を横に振る片倉。
「思えば直接やりあうどころか、あの男が誰かと組み合う姿すら、小十郎は見ておりませなんだ」
「……なんだと?」
「そいつは、他の奴にも確かめるべきだな」
それまで退屈そうに指を曲げ伸ばししていた黒田が口を開いた。
「いや、是非確かめてくれ。小生がいる間に何かあっちゃ、他人事とはいえ寝覚めが悪い」
抑揚のない声色で言いながら片倉を見る。片倉は黒田を一瞥し、帳簿に目を落とした。言われるまでもない。
「杞憂を願うばかりだがな……」
「あのう」
遠慮がちな声に、片倉は帳簿を睨んだままの顔でそちらを向いた。
「……どういうことでしょうか」
「わからんか、倅」
鉄球に背を預け、伸びをしながら黒田が言った。
「片岡八郎とかいう男の顎を砕いたのは、誰なのかって話だよ」
「わからないのでしょう? ご覧になっていない。お二人は」
「そうだ。俺も政宗様も見ていない。だがそれは……本当に、見ていなかっただけなのか?」
いざ戦になれば、全ての成り行きを注意深く落ち着いて見られるような立場の者はそういない。皆、己の目が行き届く範囲のことで手一杯になる。誰が誰の首を挙げたかすら不明瞭になるのが常だ。誰がいつどこで怪我をしたのかなど気にし始めては、目がいくつあっても足りないだろう。たとえ、その場で怪我をしたわけではない怪我人が途中から紛れ込んだとしても、気に留める者はいまい。顎を砕かれるような深手であろうとも。
寝床で黙々と書を読み、背中を丸めて療養所の中を歩き回っていた、顔面のほとんどを覆った男。口を利かずに済み、顔を隠すことができ、首から下はおおよそ無事。考えてみれば、都合のよすぎる怪我の仕方であった。
「……伊達の皆様ではない。傷を負わせたのは」
「そうと考えたくはねえが……ひょっとするとあいつは」
「みなまで言うな、小十郎」
神妙な面持ちで、政宗が制した。
「だとすれば、だ。このtiming……偶然とは思えねえ」
「やはり宇都宮、もしくは豊臣の……?」
「Keep cool. まだ、そうと決まったわけでもねえ」
「はっ……」
少なくとも、彼らにいまのところそれらしい気配はない。怪我人といえども、怪しい動きをすれば城内の者がすぐに気付くだろう。ならば目的は諜報ではなく、他に課せられた役目があるのかもしれない。片倉は黙考し、眉根を寄せた。一番よいのはやはり、杞憂に終わることではあるのだが。
「藤五たちにはオレから話しておく。お前は療養所へ行って、八郎といっしょに来た連中にそれとなく目を配るよう指示を出せ。下っ端連中には事情を気取られるな」
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